noteの端っこ

日々の事や趣味のことをつらつらと書き連ねていくブログ。

150話について考える

それでも断てぬ’’サボり’’へ

一か月の救済が発表されたね。

この回は下書き掲載になってしまったある意味激レアな回。つい最近、偉大な漫画家が一人亡くなっていたことや集英社にいくつも前例(作家に無理をさせたと捉えられるような事例)があったことからネットでは騒然。決断したのは作家本人だからあまり詮索しないのが吉なんじゃないかなと。でも長く漫画描いて欲しいから無理だけはせんでね。

 

結構好きなシーン

実は今やってる禅院家事変は電子で読んでるとかなり描き方工夫されててめちゃんこ面白い。前回や次回は特に好きな描写があるんだけど、スクショを掲載するのはネタバレや著作権にひっかかりそうなのでやめとくけど、一応この辺電子で読むとこんな感じだよってのを伝えられたら。

 

今回の話でいえば「躯倶留隊に囲まれた真希さん」のシーン

上段が見開きになっていて四方を囲まれた真希さん(左寄り)、そこから中央と下部は通常通り右から読んでいく形式になっている。電子は見開き設定にしないと一ページずつ見せられるのだが、この見開きの場合は

  • 大勢の躯倶留隊(見開き)、中心でうつむいている真希さん、直哉と亡き真依の言葉を思い出し自分を振り返る
  • 真希さんと躯俱留隊(見開き)、真依を亡くした後悔と攻めかかる隊員、真希の最後の言葉と目を開く真希さん

見開きでない電子はどうしても違和感を感じたりするのだが、ここの見開きは自然に読むことができ、理解もしやすくできている。ジャンプ+が得意なこうした表現をうまく取り込んだのだろう。

 

パパ黒と禅院家

禪院家の中でも準一級呪術師相当の実力者 蘭太の「今の禅院家が在るのは甚爾さんの気まぐれだ!!」というセリフ。五条&夏油を一蹴した所や陀艮を瞬殺するパパ黒の活躍を見ていると前例の割に真希さんの扱いの酷さや非相伝の扱いの悪さをより醜悪に感じる。

実力を認めている一方で古いしきたりや血のつながりを重視している根っこの部分の変わらなさは若干あきれる。

あと、このあとの甚壱のパンチのシーンHUNTER×HUNTERみたいで笑っちゃった。

 

終わりに

甚壱と甚爾の関係性が明かされないまま池に投げられちゃったね。多分兄弟だと思うんだけど(初登場時のやり取りから)顔全然違うしなあ。

あと個人的に直哉の「人の心とかないんか?」に対して「アイツが持ってっちまったからな」っていうセリフが、禅院家の「術師に非ずんば人に非ず」っていう家訓?がうまくリンクしている感じが良かったね。禪院家の価値観からしたら、人の心すなわち術師として思うとこないの?っていうのに受け取れて、それに対して真依がいなくなり、呪力がなくなった(術師でなくなった)から持ってっちまったにつながるのがとても良かった。

明日のうちに直哉vs真希のところを何とか書いて休載の一ヵ月中に何か別のを書いたりしてみたいねっていうとこで、今回はここまで。